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【ネタバレ注意】最後の10分のための壮大な96分の前振り。あなたが「セッション」を見るべき理由

僕は「大どんでん返し」が大好きだ。最後の最後でストーリーがガラッとひっくり返される裏切りが好きだ。

ストーリーを追いかけながら「こうなるだろう」と頭の中で想像していた展開が裏切られる。「あっ、そっちに行くんだ!」と、目の前で予想外の方向に物語がシフトして行く様子はめちゃくちゃに気持ちいい。

例えば野球だと、優勝がかかった大一番の最終回、サヨナラ満塁ホームランをぶちかまして逆転勝ちしてしまうような「誰も予測していなかった分岐」に舵が切られる。思いっきり既定路線を揺さぶられる感じがたまらない。

もし、あなたも大どんでん返しが好きなのなら「セッション」だけは観た方がいい。セッションを人におすすめする時にいつもこう説明する。「この映画の大部分は、最後の10分のための、壮大な96分の前振りなんだ。でも最後の10分を観れば元が取れる。お釣りだってくる。96分スクリーンの前で待つだけの甲斐がある」と。

ジャズに人生をかけた男と男

映画『セッション』予告編(4/17公開)

主人公はアンドリュー・ニーマン。19歳の青年だ。アメリカで最高峰の音楽学校、シェイファー音楽院に入学する。彼の目標は「偉大なドラマー」になること。朝も夜もドラムに向かってストイックにドラムを叩き続ける。

彼が個人練習で一人ドラムを叩くシーンからスタートする。そんな彼のドラムを、学校最高の指揮者であるテレンス・フレッチャーが見にくる。彼のテクニックと熱意を買い、フレッチャーがニーマンを自身のバンドに誘い最高のドラマーに育てようとする。

ちょっと内気だけど、ドラムに対する熱意は狂気的とも言える、偉大なドラマーを目指すニーマン。テンポが合わないからと言って椅子を頭めがけてぶん投げられて、バンドメンバーの前で屈辱的な思いをさせるなど、時にちょっと行き過ぎた指導で偉大なドラマーに育て上げようとするフレッチャー。この2人の関係性がこの映画の全てだ。

愚直にドラムと向き合う青年、ニーマン

ドラムに対する執着は、ストーリーが展開して行くにつれて加速する。映画館の受付の女の子をデートに誘って、無事付き合えたにもかかわらず「ドラムに集中したい。君は偉大なドラマーになるためには邪魔な存在だ」的なことを自分から切り出してフってしまう。

やっとの思いで、3人いるドラマーのうちからコアドラマー(レギュラーメンバーみたいなものだ)になる。大事なコンペ当日、会場へ向かうバスが故障で止まってしまう。代わりにレンタカーを借りて会場になんとか時間ギリギリに間に合わせるものの、ドラムスティックをレンタカー屋に忘れてしまう。車を飛ばして回収し、会場に急いで戻る途中で交通事故に遇う。血まみれになりながらステージに上がるが、身体は事故のせいでボロボロ。満足いくドラムが叩けるはずもなくフレッチャーに「お前はもう終わりだ」と言われてしまう。ニーマンは怒り、フレッチャーに襲い掛かったため会場を退去させられ、退学処分を食らうことに。

どう考えてもドラムに人生が狂わられてた男の話だ。ここまでの入れ込みっぷりはもはや熱意なんて可愛いものじゃない。明らかに何かに取り憑かれている。狂気だ。ブログを書こうと思ってMacBookを忘れて交通事故に遭ったとして、そのまま血まみれでキーボードを叩けるわけがない。

ドラムに取り憑かれた男をただストイックに描く

セッション 予告編より引用

この後彼は退学し、ふらっと立ち寄ったジャズバーでフレッチャーに再会する。ニーマンはフレッチャーの行き過ぎた指導を匿名で証言し、フレッチャーは学校を去っていた。フレッチャーはプロのバンドを率いている指揮者であり、ドラマーが不在だと言ってニーマンをバンドに勧誘する。シェイファー時代の曲をやるとフレッチャーは言ったが、いざステージに立つと全く違う曲を演奏し始める。ニーマンが匿名で証言したことがフレッチャーの耳に入り、その復讐のためにわざと違う曲を伝えて恥をかかせようとする。

訳も分からず曲が終わり、悔しさのあまり途中退場する。父親に迎えられ、彼の胸で泣くのだが、またステージに立ち戻る。

ここからが「最後の10分」の始まりだ。彼は、シェイファー音楽院で演奏していた「キャラバン」のイントロを勝手に叩き始める。フレッチャーも止められず仕方なく演奏を続ける。ここからが最高な部分だ。全てのわだかまりや関係の悪化、過去の出来事を全て超えて音楽で2人が繋がるのだ。そこに存在する音楽の素晴らしさ、ドラムのタイトさだけで、いがみ合い修復不可能な関係となってしまった2人を心の底で繋げた。

めちゃくちゃに長く狂気じみた強烈なドラムソロを叩き、曲の最後の最後のキメでフレッチャーがあまりのドラミングに微笑みを見せる。ここがこの映画の絶頂。狂気と狂気がぶつかり合い、いがみ合い、とっ散らかった末にニーマンは「偉大なドラマー」になることができたのだ。

狂気だけにフォーカスしている

セッション 予告編より引用

とにかく「狂気」を描くことにフォーカスしている。恋愛要素も出ては来るのだけど、ニーマンのストイックっぷりを強調するための道具に過ぎない。ドラムに向き合う以外の描写は徹底的に省かれている。

日本の映画だと仲間との友情や、恋人との関係、ライバルとの絆など、ドラムを中心に置きながらも他者との繋がりをラインに物語を展開させるはずだ。

しかし、セッションでは全くない。ドラムだけ。ただそれだけなのである。孤独にドラムと向き合い、狂気を背負って「偉大なドラマー」になる男を追いかける

狂気に触れて、モチベーションを上げよう

 

僕はかれこれ5回ほど「セッション」を見ている。どんな時にこんな狂気の映画を見ているかというと「モチベーションがイマイチ出ない時」だ。

ここまで1つのことに狂気的に取り組む人間を見ていると「俺もまだまだできることがあるな」とやる気を取り戻せる。最後には素晴らしいどんでん返しが待っている。最終的には、狂気的モチベーションを持って自分の人生を捧げたドラムを通じて、人と通じ合うことができる。もっともっとブログを書きたいし、英語を勉強したいし、楽器も弾けるようになりたい。僕はそう思う。

きっとここまで狂気を持って取り組むことができることを見つけることがまず難しいのだけど、もし今頑張っていることがあるのなら「セッション」は何かモチベーションを保つヒントのなるかもしれない。いつか僕らも「偉大なドラマー」みたいな何かになれるかもしれない。

物語としても面白い。僕はここまで壮大な前振りを知らない。狂気の末に巻き起こるラスト10分の「大どんでん返し」をぜひその目に収めて欲しいと思う。